間違いは長く生きて償うしかない


 

間違えは、誰にでもあるもの

 

人間、生きていれば必ず間違いを犯します。

それは、どれだけまっとうに生きていたとしても避けることができない事実であり、現実の部分でもあるからです。

ほとんどのひとは案外、自分は他人から攻撃を受けると、心が深く傷つきます。そんなこと気にしない性格の図太い性格であるのなら、なんら問題がないのでいいのですが……。

それでも生きていると、どうしても他人と接点は持たなくてはならないし、無人島でもない限り、たったひとりで生きることは現代では不可能です。

無人島でも、生きていくために水は必要だし、海に潜って魚を獲らなければなければいけないですからね。

私たち日本人が大昔、農耕民族だったころでも他人とどこかで交わらないと生きておもい込んでいるのは、そんな「生きる糧」からきているのかもしれません。

それこそ、いまはスマートフォンもあるし、インターネットもあるし、インフラが充実している日本では生きるのにはそれほど困らない時代だとも言えます。

雑音をシャットアウトしたくても、絶対に「さえぎる」ことができないものが日常にありふれています。

たとえ情報過多時代であっても、「間違いのない世界」はもう存在しません。

正しい情報を、みずからの手で掴み取らなければ、正しく間違うこともあります。

現代人では仕方のないことでもあります。ハメられることもないとはいえません。

じゃあ、間違えて大変なことになったらどうする?

 

1630

 

生きて償うしか方法はない

 

価値観の共有が大切だと感じるのは、実はいい面・悪い面があります。

たとえば、こどものころから刷り込まれている教育は、かなり偏っていたりする場合もあるし、歴史などはその時々で変化するものなんですから。教育もいい加減なものです。

それこそ、魔が差して悪事に手を染めることもあるのが人間の根底にあります。

別に、悪党を擁護しているわけではないですが、明日からいつ誰が悪党になる可能性は否定できません。

万が一、あなたがほんとうに長い人生のなかで魔が差して、償わなければならないことがあるんあれば、生きて償うことしかありません。

世の中には、金銭で解決可能なことはあります。逆にそれだけでもない側面もあるとも言えます。

それは、過ちを犯したあなたも「心が深く傷ついている」証拠。

もう、傷つけたひとに償うことができないとおもうのは、根本的な解決になりません。

私はそれほど長くは生きていませんが、それでも他人を傷つけたことはあります。

いまだに、自分自身が後悔をする出来事が頭をよぎることもあったりしますから。

赤の他人を傷つけたしまったことを、もう悔やんでも前には進みません。

であれば、あなたは生きて償えばいいだけです。

過ぎたことを悔やむより、その方が効率的だし、生きて社会に貢献できることもあります。

誰もそんなことを言ってくれないでしょうが、それを償いと言います。

 

003