幸福になる最短距離は、他人と比べないこと


 

幸せの基準もすでに洗脳されいる

 

幸せになることで、劇的に人生観が変わったりすることは、普段はそう起こることでありません。

いったい、「幸せ」とは?

食事をして腹をまんぷくにしているときなのか、寝るときなのか、もっと欲を言えば金銭的なことなのか。

それこそ、幸せの価値観なんてひとそれぞれです。隣の芝生はよく見えますから。

いま結婚しないひとが多いと言われています。それは、世間一般にありふれている、幸せの基準値に合わそうとしているだけです。

現代人は、幸せを求めすぎています。なにが、幸せの基準かはもう曖昧すぎます。

ずっと独身を通すひとも、年々増えてきています。

結婚すれば、幸せになるわけでもないし、もう時代が見通せる状態ではないんですから、いまからは自分で「幸せ」を感じる方がましです。

流れに流されるのが、ひとの心理だし、それはもう避けることは不可能です。ある程度の年齢に達したら、外野がうるさくもなります。

いままで、私たちは結婚、仕事、車、一戸建ての家に住むことが、幸せに指針でした。

だけど、もうそれは過去の話しだし、日本人がつくり上げてきた錯覚にすぎません。

 

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生き方を他人と比べても意味のない時代である

 

日本は、地方の田舎でもいかない限り、家族との密接な関係が保てなくなっています。

娯楽なども、個人で楽しむことができて、しかもオンライン上で知らない相手とも、いろんなネットワークを駆使できる時代ですから。

別に核家族化でも、問題なく生きることができる時代です。

そうあることが、幸せだとおもいこまされていた時代だったと言えます。

困ったときに、最速で友人が助けにきてくれると、そりゃ嬉しいものです。

しかし、それがもう保てない状態ですから、昔みたく幸せのレールは存在しません。

これは人間関係が大事だと言う論点ではなく、いままで私たちは「幸せ」を多数がいる方角に誘導されていた。まさにそうです。

結局、幸せなんて、自分自身で決めることでいいわけで、多数の方に無理して合わせなくも問題ありません。

たとえば、親の介護をしないといけないひとは、それだけで恋も、仕事も、金銭的な面でも回らなくなります。

そこに時間を割かれれば、自然とそうなります。私が見ていて、親の介護をしているひとの悲壮な表情はなんとも言えないときがあります。

基本、介護は自分の親にこどもが尽くすことですから、いままで概念だったら薄幸オーラをかもしださなくもいいはずです。

身体が不自由になった親の面倒を見てあげてるひとが、幸せになったとは聞きません。

介護疲れとは、まさにこう言うことです。

結婚をしているひとも、なにか始めだけそれこそ「幸せ」にしています。だけど、1年も経ったら文句ばかりを言うようになります。人生の墓場だとか…。

すでに時代は変わったのですから、他人と自分の現状を見比べるのはやめにしましょう。

 

いままでの幸せの概念であったり、幸せになれると言うおもいこみは錯覚だったことだと……。

 

これから幸せの尺度は、いままでに転がっていた多数派のものではなく、個人が決定するのが有益だと言うことを気がついてほしいです。

 

そして、幸せを最後に掴みとって下さい。

 

Menjoy 127266 1

 

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